Wednesday, May 6, 2009

共有

「象の背中」という映画を母がリビングで観ていたので、
ところどころ一緒になって横で観ていた。

今まだ映画の途中だけど超おおまかに言うと、
肺ガンで余命半年と宣告された主人公の、その後の生き様を描いた映画。

主人公は、奥さん、息子、娘の4人家族で、
更に不倫相手の女性がひとり。

主人公はまず息子に自分がガンであることを伝え、
奥さんと娘には一切を隠す。

  心配させる時間は短いほうがいい(だから直前まで言わない)、
  でもお前は男だから、一緒に背負ってくれ

というような意図だった。

ここで思ったのは、
私は一緒に背負いたい、ということ。
もし私が奥さんなら、その事実を隠されるのはイヤだ。
というのも、自分の大切な人が苦しんでいるとき、
それを共有することで、自分が救われる部分がある気がした。
というか、共有することでしか救われない気持ちがある、と思った。

大切な人がガンで死んでしまうその瞬間に、
その人がガンで苦しんできたことを知るなんて、
それこそ耐え難い。
なぜなら、想像してしまうからだ。
その人の苦しみを。

だからせめて現実に、一緒に苦しませてほしい。
苦しみを想像させる方がよっぽど残酷だ。
何ができるわけではなくとも、
一緒に苦しむことできっと私は救われる。
…とことん勝手だよなぁ。

でもね、きっと相手が死んでしまったあと、
「私は一緒に苦しんだんだ」と思えることでどこか満足する部分があるというか、
やれるだけやったという事実のお陰でスッキリできるときが来るんじゃないかと思った。
要は自己満足だよね、単純に。

もちろん、「相手が何を望むか」なんだけど。
もしも知られたくないというのなら、それを尊重するしかないと思う。
だけど、少しでも遠慮して躊躇っているのだとすれば、
そこは遠慮なんかしないでほしいと私は思う。

きっと、共有することが大事なんだ、と、ふと思った。
きっと何かを共有することでのみ得られる救いや幸せがあるのだ。
「共有した」という事実が最も大切なのだ。

それはこういう場面でなくても、
何にでも言える話で。

時間でも、感情でも、快感でも、苦痛でも。
共有することが大事なんだと思った。

だから例えどんな苦しみが待っていようと、
大好きな人と少しでも同じものを共有したいと思う。

大切なことは、共有なんだ。

共有したい。

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