松本隆
今日の「情熱大陸」は松本隆という有名な作詞家の特集だった。
番組の最後に、
「作詞家を辞めたいと思うことは?」という質問に対して
「毎日辞めたい」だか「いつでも辞めたい」というようなことを答えた後に、
松本隆さんは「言葉が好きだ」と言った。
「『言葉が好きだ』ということは、『人間が好きだ』ということになるのだろうか?」という疑問がふと湧いて、
少し考えてみた。
もしも言葉がただの文字だったり音声だったりで、
そこに何の感情も込められていない空虚なものだとしたら、
きっとそれは「好き」になり得るものではないだろう。
だとすると、
言葉とは、人間の感情が込められていてこそ言葉であり得る。
つまり、言葉を好きだということは、人間の感情を好きだということ。
人間が何の感情も持たずにひたすら生きるだけの生き物だとすれば、
それはただの動物と変わりない。
人間を人間たらしめているのは感情である。
だとすれば、
感情を好きだということは人間を好きだということ。
言葉を好きだということは、人間を好きだということ。
ではやはりこの人は、人間が好きなのだな。
・・・なんてことをぼんやりと考えていた。
「人間が好きなのだな」という結論に達したあたりで、
なぜか心のどこかで小さなうれしさを感じた。
どうしてなのか、自分でもわからない。
でもたぶん、私自身人が好きで、できれば憎まずに生きていきたいと望んでいるのだと思う。
それでも、人間は憎むべき愚かな存在だ、とも思っている。
その矛盾にいつも苦しむ。
「言葉が好きだ」という言葉を聞いたとき、
余計な理屈抜きで「人間が好きだ」と公言してくれたように感じて、
人間を好きでいることを何の迷いもなく肯定してくれたような気がして、
なんだかうれしかったのかもしれない、と思った。
それは安心に近いうれしさだったと思う。
村上隆という人を意識したことはなかったが、
今日たまたま特集を見ることができたのはラッキーだった。
悲しさだか切なさだかよくわからない、憂いを帯びた安心を感じさせる人だと思った。
この人へのイメージをプラスマイナスで言うなら、
たぶん「かろうじてプラス」。
プラスなのでよかった。
「好き」という言葉を使わず、
「好き」という気持ちを表す行動や表現は何だろう。
そして言葉とそれと、どちらが真実である可能性が高いのだろう?
なんてことを考えたが、
バカバカしくなってやめた。
言葉であれそれ以外の表現であれ、
どちらも偽れるし、どちらにも本当の気持ちが現れうる。
考えるだけ無駄なのだ。
そう納得させて、これ以上考えずに眠りたいと思う。
考え出すとキリがないとわかっていながら、
どうしても考えてしまうから。
あの言葉の意味や、行動の意味をね。
考えるだけ、無駄なのだ。


