自然と人工
先週のある朝だったかな。
バスに乗って外を見ていると、綺麗な桜並木が見えた。
規則正しく、ひたすら等間隔に並ぶ桜の木。
それを見たときに、綺麗だと思うのと同時に悲しさを覚えた。
桜の木はちょうど精一杯に花を咲かせているときで、とても綺麗だったんだけど、
すごく人工的に見えたんだよね。
木は自然の中であんな風には並ばない。
自然を鑑賞して心が和んだり美しさに浸ったりするわけだけど、
我々が鑑賞させられているのは自然なんかじゃない。
むしろね、高層ビルの立ち並ぶ煌びやかな夜景の方が、よっぽど自然に見えることがある。
ビルひとつひとつを取ってみれば、人に見られることを意識してデザインしてあったりするんだろうけど、
ひとつの景色として見てみれば、
それぞれのビルがそこにあることはある意味偶然で、計算されていない。
その景色は誰かの計算によって作られたものではなくて、
各々が勝手なことをした結果生まれた偶然の産物でしかないんだよね。
そこにあったビルが突然壊されて、消えて、夜景の中から光も消える。
また、新たな光が追加される。
その繰り返しで景色は変化していくわけで、完全にメンテナンスされた桜並木なんかよりも遥かに自然な姿でそこにあると思える。
前に水族館に行ってたくさんの水槽を覗いて歩いたんだけど、
その水槽の中のひとつに茶色い瓶が沈めてあったのね。
瓶、つまり人工物だけど、これが沈めてあることでその水槽が急にリアルな海らしく見えた。
不思議だと思ったんだけど、よく考えるとそれが私の知っている海なのだと考えると、なんとなく納得がいった。
でもそこですごいと思ったのは、
瓶を沈めた人だ。
自然を表現するために、人工物を敢えて取り入れたこと。
他の水槽は水草や岩を使ってうまく自然に見せようとしているんだけど、
その水槽はそうじゃなかった。
そうだよ、ほとんどの人は人工物が視界に入らないような海を知らないのかもしれない。
海を考えたときに瓶を連想することも自然な気がするし。
よく絵本とか映画でもあるもんね、瓶に何かを詰めて流すとか。
なんていうのかな。
自分の感情はどこまで自分のものなのかなぁ・・・と思った。
操作されていない純粋な感情なんてあるのかな。
自然と湧いてくる感情でさえも、
人工的に創られたものなのかもしれないね。



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