意識する姿勢を持て
私は、礼儀を弁えた人間が好きだ。
そして認め、受け入れる。
認めている人間からは、何をされても大抵のことは許せる。
例えば夜中や朝方に電話で起こされようと、
私の時間や労力を多分に割かされるような要求を突然されようと。
私のできる限り力を貸したいと思う。
私よりも思考能力のレベルが上、或いは同じ程度であれば尚更だ。
そのような人は、私にとってとても重要であり、大切である。
その人たちからのコンタクトに多少不躾な点があっても、相手が礼儀を弁えている人間であるということがわかっている限り、私は受け入れる。
それは信頼関係があるからだ。
私は彼らを信頼している。
お互いがお互いを尊重し、認め合っていることを信じられるだけの経験や歴史の上に、信頼関係は成り立っている。不躾な要求をお互いに受け入れられるのも、普段から相手が礼儀と自分たちの関係を弁えているからこそである。適切な距離が取れているのである。
ただ、私と彼らの関係を見て、私が寛大であると勘違いする人間もいる。
そのような勘違い人間が、私は嫌いでたまらない。
信頼している彼らをA側と呼び、勘違い人間をB側と呼ぶことにする。
A側の人が私に対して、傍から見たら不躾とも思えるような要求をしてきたとする。
それを見ていたB側の人間は、「この人は、ある程度のことを要求しても受け入れてくれる」と思い込むらしい。
特に親しくもないのに、不躾な連絡が向こうから一方的に送られてくるのだ。
更に言えば、連絡をしてくること自体が不躾であり、私との関係を見極めることができていない証拠である。
なぜなら、私はB側の人間に自分の連絡先を教えたりはしないからだ。
B側人間は、どこからか私の連絡先を入手し、勝手にコンタクトを取ってくる。
B側人間は独特の、わかりやすい臭いのようなものを発している。
臭いといっても実際に嗅覚を刺激する臭いではなく、こちらに嫌悪感を抱かせる雰囲気、かすかなオーラのようなものだ。
私には、そう感じる。
B側は、自分の立場を私より上に置きたがる。
或いは、自分の思考レベルが私より勝っていると自信をもっているようだ。
そして彼らは馴れ馴れしい。親しみやすいこととは違う。
基本的に自分中心で話を進める、或いは要求を押し付けてくるばかりである。
こちらから彼らに要求することなどないので 向こうからの要求を押し付けられるばかりになるのも当然のことだが、彼らの無礼っぷりは要求の内容だけではない。
コンタクトの取り方や要求の仕方もまた、なのである。
関係を見極めろ。そして立場を弁えろ。
これは私自身、自分の肝に銘じていることでもある。
自分がこれを完璧にできているとは言わないし、思ってもいない。
ここで言いたいのは、「それを意識する姿勢を持て」ということだ。
これができない人間、こんなこともわからないような人間とは付き合う気はない。
誰かの前でこれができていないとすれば、私自身もそう思われているだろう。
どこかでB側人間だと思われていなければいいのだが・・・。
自分を観察することだ。



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