省み
潔く自分の非を認めることは、開き直ることと混同されたり勘違いされたりしがちだ。
意識的に「勘違い」しようとしている人間も多いんだろう。
意識的であるにせよないにせよ、潔さと開き直りを勘違いする人間は、 往々にして精神的に弱い。
或いは、「偉い人」。地位や名誉のある人ってこと。
これは偏見だろうか。
自分の手にあるものを手放さないでいるために、彼らは必死で開き直っているように見える。
或いは、惨めさを少しでも誤魔化すために。
「潔く非を認める」とは、自分の罪を見つめて受け入れると共に、 罪を犯した人間として自分を見なすこと、または、人からそう見なされることによる惨めさや恥を受け止めることでもある。
そしてそれは、惨めな自分をどうにか誤魔化し、人の前でも自分の前でも面子を保とうとする姿勢を持つものにはできない。
罪を認めればいいというものではない。
重要なのは、態度だ。
誰かに見せる態度ではない。
自分に向き合う態度なんだろう。
弱い人間が一番恐れているのは、自分なのだろうと思う。
自分の失敗や惨めさや恥を認めるのは、非常に勇気のいることで、
それを認めてしまえば逃げようのない罪悪感や劣等感、羞恥心に苛まれることになるだろうから。
できれば目を逸らしたい、揉み消したいと誰もが思うだろう。
必要なのは、そんな弱い自分に立ち向かうことができる勇気だ。
だから、弱い人間は開き直ることしかできないんだ。
謝罪した後、真っ先に何を思ったかでわかると思う。
「よし、ちゃんと謝罪したぞ」って満足感が湧いてきたなら、それは単なる自己満足のための開き直りだ。
こう書いてしまえば、開き直る人間は、自分が満足感を感じた事実さえも誤魔化してしまうのだろうけど。
だから直すのは難しいんだろう。



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