知り合いの子に、小学5年生の女の子がいる。
今日はその子に会う日だった。
その女の子をAちゃんと呼ぶことにする。
Aちゃんはおしゃべりが好きで、中でも身近な人や動物をネタに話を作り上げることがとても好きだ。
よくあると思う。
「○○ちゃんが、~~~ってなこと言っちゃったして」
「そうそう、それで△△ちゃんが、~~~になっちゃったりしてね(笑)」というような、冗談話。
それは別になんの変哲もない日常会話の一部なんだけど。
ただAちゃんの話はエスカレートして、こんな話も出てくるようになった。
「○○ちゃんが死んでお葬式になったら、そのお葬式のときにみんな手を叩いて喜んでるんだよ(笑)
それで、そのあとはみんな喜びのダンスを踊っちゃうの」
「○○ちゃんのお葬式のときには、誰も泣いてないの(笑)みんな笑って喜んでるんだよ!」
「△△さん死ねーってみんなで叫ぶの。
で、△△さんが死んだら、いいぞーってみんなで喜ぶんだよ(笑)」
「□□が死にました、っていう知らせが来たら、Aは 『それはよかったですねー、うん、いいことだ』って言って拍手しちゃうの(笑)」
他にもこんなことがあった。
☆☆さんが手を切って、血が出ちゃったーと言ったとき。
Aちゃんは拍手をしながら、「わーい、やったーやったー」と言った。
Aちゃんは、ふざけて言っているだけである。
笑い話のつもりで言っている。
○○ちゃんや△△さんに何かされて恨んでいるわけでもないようだし、嫌っているわけでもないようだ。
ただ、冗談として言い、自分の話に自分で笑っている。
周りも笑うと思っている。
自分は面白い話をしているつもりなのだ。
Aちゃんが完全に冗談で言っているとしても、
彼女の発言はあまりに分別がない。
もしわざと(相手を傷つけようとして)言っているなら、
ちょっと性格が悪い。
以前は単に分別がないだけだと思っていた。
しかし今日、ふと その子の性格の悪さを疑ったのである。
きっと分別がなく、性格も悪い、その両方であると思う。
そして、そういう性質を持つ人間は、往々にして精神的に弱い人間だ。
そんなことを考えていたら、自分の幼少時代を思い出した。
知り合いの人が家に来ているときなどに、人前で母が怒らない(怒れない)のをいいことに、調子に乗って悪さをする子どもだった。そして母とふたりになったときに、毎回叱られていた。
他人と私と母の3人の輪から他人が抜けていったとき、
私は「やばい、またやっちゃった・・・怒られる!」と、内心びくびくしている。
どうして直せないんだろうと、自分の行動を何度も疑問に思ったものだった。
今日は、ふとその疑問が蘇って、改めて考えてみた。
調子に乗って悪さをしている最中、それが悪いことであると自分でもわかっている。
後で怒られることもわかっている。
それなのに、悪さはエスカレートしてしまう。
止めることができない。
それはどうしてだったのだろうか。
今になって考えてみると、こういうことだったのだと思う。
自己顕示欲の充足と、それに伴う罪悪感や惨めさの回避に必死になっていた結果なのだろう。
お客さんに、自分を見てほしい。
その願望を満たすために、注意を引くような何かをする。
それをして、自分が悪いことはわかっている。
ということは、どこかに罪悪感があるということだ。
しかし自分の非を認めれば、惨めな気持ちを味わうことになる。
だが惨めな気持ちは味わいたくない。
罪悪感や惨めな気持ちをどこかで感じていて、
それを振り払うために一生懸命次々に悪さをしていたように思える。
そしてさらに罪悪感が生まれて・・・っていう悪循環だよね。
だから、自分が悪いとわかっていても止められなかったのだと思う。
自分が悪いと自覚していたからこそ、止められなかったんだよね、きっと。
先に話したAちゃんの発言も、きっとこういうことではないのだろうか。
Aちゃんは一人っ子で、見ている限り甘やかされて育っている。
だからとても我儘で、感謝の気持ちをあまり知らないようだ。
Aちゃんには、何でも誤魔化そうとするところがある。
そして人に謝ることができない。
怒られるとひどく落ち込んで、少し経つと意識が飛んでいる。
思考が停止して、何も考えていない状態になる。
そして眠くなり、うつらうつらとし始める。
自己防衛能力が高いのだろうけど、
その能力があまりに高すぎると、成長のチャンスを失いがちだ。
自分の非を受け止めることが何より苦痛で、必死になって逃げようとするからだ。
自分を見つめることができないし、自分の欠点を直すことができない。
最近、そんなAちゃんに嫌気がさしている。
私自身、過去の自分に重なる部分をAちゃんの中に見てしまうからなのだろうか。
それとも、自分を含めてそういう人間がただ嫌いなだけなのだろうか。
今の私は何かから逃げていないだろうか。
罪悪感を常に感じている。
それが答えだ。